The Old Man and the Sea『老人と海』の基本情報

基本情報

『老人と海』はHemingwayが残した最期の作品である。

井上謙治氏の「ヘミングウェイの作品」によると、

「わたしが今日まで生きて、知り得たことのすべてがこの作品のなかにある……わたしが生涯をかけて目指してきたものが、ようやく手に入ったような気がしている」

とヘミングウェイは語っている。このことを踏まえてか、LitChartは”Across the River and Into the Trees, published in 1950, met with severe negative criticism”と前置きし、”some viewed the story as Hemingway’s symbolic attack on literary critics”というように、Hemingwayの作家としての体験に結びつけて分析する見方も紹介されている。

前述したLitChartの観点は、批評家から見えたThe Old Man and the Seaである。一方で、若い読者には老人の生命力や武勇、漁師としての志などが印象的に映るかもしれない。はたまた、年をとるにつれて、The Old Man and the Seaの老人の印象は、死や、せまり来る運命との戦いを中核としたものになるかもしれない。

それぞれの観点の優劣はさておき、確かにThe Old Man and the Seaには<虚無感>や<精神の苦悩>といった影と、<誇り>や<自分を信じ抜くこと>といった光があり、それらの見え方は読者によって違ってくるということを第一に強調しておくべきであろう。この違った見え方の傾向がThe Old Man and the Seaにおいて顕著である理由としては、ひとつに、構成・登場人物・文体・象徴などが単純化され、直感的に書かれていることが言えるだろう。

よく知られており、あらためて記すほどではないが、Hemigwayは幼少期から野生的な環境で強くたくましく育てられた。アメリカのイリノイ州シカゴ郊外の町・オークパークで生まれたが、両親が購入したミシガン州北部のワルーン湖の別荘で多くの時間を過ごしたという。開業医であった父のクラレンス・エドモンズ・ヘミングウェイは、狩猟・水泳・釣りなどを嗜む活発な人であり、剛勇な彼の影響をErnest Hemingwayも色濃く受けている。スポーツマンであった父とは対象的に母であるグレイス・ホールは教養的で音楽を好む、感受性豊かな人であった。Ernest Hemingwayの人格は、この二人の特徴を受け継いで形成されたと言える。

単純化され、最小限化された文体についてだが、これに対してはHemingwayが学生時代から好んで続けていた、新聞編集活動の影響が指摘できる。地元のオーク・パーク・ハイスクールに入学したHemingwayは、学生新聞『トラピーズ』で自分の作品を発表したり、編集活動に精力的に取り組んだりしていた。それの影響もあり、父方の叔父の助けもあって、ハイスクール卒業後はキャンザス・シティの『スター』紙に入社することができた。大久保康雄氏の解説によると『スター』紙は、新人社員に様々な「心得」を教えてこれを遵守させていた。「短い文章を使え。書き出しの一節は短くせよ。積極的であれ、消極的になるな。」「古くなった俗語を使うな。俗語は新鮮でなければならない」「形容詞を使うな。とくに splendid, gorgeous, grand, magnificent などの大げさな形容詞を使ってはいけない」などが「心得」に含まれていたという。これらの「心得」は、Hemingwayの文体の基盤を作るものであった。Hemingwayは『スター』紙を約半年で辞め、Red Cross Ambulance Corpsから第一次世界対戦に従軍するのだが、従軍後はカナダ・トロントの『スター・ウィークリー』紙で働く。その傍、シカゴでシャーウッド・アンダーソンと知り合い、彼にパリにいる文豪たちへの紹介状を書いてもらうことに成功する。そうして、同紙の特派員としてパリへ向かったHemingwayはガートルード・スタイン、ジェイムズ・ジョイス、エズラ・パウンドなどから直接創作に対する指導を受けるようになる。Hemingwayのもつ文体の背景にはこうした概歴があるのである。

さて、Ernest Hemingwayが「生涯をかけて目指してきたもの」と言い表したThe Old Man and the Seaだが、如何にもその言葉に相応する年月をかけて構想・執筆されている。Hemingwayは、実際にこの作品と似たような、「キューバの一老漁師と巨大な魚との物語」を聞き知っていたようで、それは大橋健三郎氏によると1939年頃、井上謙治氏によると1937年の事とある。しかし、それも疑わしい。漁師と大きな魚との死闘を描いたOn the Blue Water「青い水の上に」という二百文字程度の小作品が1936年4月『エスクワィア』誌から発表されている。いずれにせよ、発表までの15、6年間もの間、構想を温めていたことになる。

Hemingwayが本格的にThe Old Man and the Seaの構想を始めたのは、1939年ごろのことだろう。この頃に、「クリブナーズ社の名編集長であったマクスウェル・パーキンズに、この話を小説にしたい」とヘミングウェイが語ったと、井上謙治氏が解説している。1928年から1938年の間はフロリダ半島南端のキイ・ウェストに、1940年からはキューバのハバナに移り住んでいるが、どちらの環境でもErnest Hemingwayは海釣りを日常的にしており、468ポンドのカジキマグロを釣り上げたり、全米海釣り師会の副会長になったりしている。とても長い間、海で積み上げられた釣りの経験が、The Old Man and the Seaに反映されている。移り住んだキューバで執筆されたThe Old Man and the Seaは、1951年4月には原稿が仕上がっていたと言われているが、その後も、Hemingway本人曰く「二百回以上も読み返し」、「七回も結末を書き直した」そうだ。そうして、『ライフ』紙の1952年9月号にて発表を迎えている。

それほどまでにHemingwayが執念し完成されたThe Old Man and the Seaは、1953年にピューリツァー賞を受賞し、この作品での功績が評価され、1954年にはHemingwayはノーベル文学賞を受賞する。

Hemingwayの従軍などの体験を語るのは、A Farewell to Arms『武器よさらば』を紹介する時のために取っておく。ここで語ったことは、いずれもThe Old Man and the Seaを読むにおいて重要なことであるので、記憶の片隅に置いて分析してほしい。

 

References 参考文献

井上 謙治. “ヘミングウェイの作品.” 国立図書館.

大橋 健三郎. ”解説” 国立図書館.

大久保 康雄. ”ヘミングウェイの生涯と作品” 国立図書館.

Lichtenstein, Jesse. “The Old Man and the Sea.” LitCharts. LitCharts LLC, 22 Jul 2013. Web. 10 Dec 2018.

 

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