内村鑑三の『代表的日本人』を紹介。日本人であることに対しての感覚が変わる本!

Japanese Lit
突然ですが、以下の問いに答えられるでしょうか。
  • 封建制度の撤廃によって失われたものはなにか
  • 日本人にとって、学校という場所の本質とはなにか
  • 先生とはどのような人か
  • 正義と善事の違いはなにか
  • 人を動かすこととはなにか
  • 昔の日本人が死を恐れた理由はなにか

留学した際に、外国人は躊躇いもせず、日本人の核心に切り込むような質問をしてきます。たとえ留学をしなかったとしても、一生涯、これらの質問を曖昧にしておくのは、日本人としてもったいないことだと思います。

『代表的日本人』を読む事で、昔の日本人がこれらの諸問題に対してどのように考えていたかがわかります。具体的には、

  • [新日本の創設者] 西郷隆盛
  • [封建領主] 上杉鷹山
  • [農民聖者] 二宮尊徳
  • [村の先生] 中江藤樹
  • [仏僧] 日蓮

が、自分の専門とする分野に対して、どのように考えていたかがまとまっています。

『代表的日本人』という本は200ページ弱に、5人の価値観を濃縮したもの。読者は、その5人の偉人を先生として、日本人観について色々な事を学ぶ事ができます。

『代表的日本人』は、岡倉天心「茶の本」、新渡戸稲造の書いた「武士道」と並んで、三大日本人論の一冊に数えられているほど、一読に値する本です。強くお勧めします。

『代表的日本人』が書かれた理由

1908年4月29日、内山鑑三が「Representative Men of Japan」(代表的日本人)という本を、警醒社書店から出版しました。

題名からもわかる通り、内山鑑三は母国語でない、英語でこの本を書きました。なぜ英語を選択したのかは、以下に説明されている通りです。

「わが国民の持つ長所ー私どもにあるとされがちな無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心とは別のものーを外の世界に知らせる一助となることが、おそらく外国語による私の最後の書物となる本書の目的であります」ー 『代表的日本人』「はじめに」

本当の日本人の姿・精神性を海外の人に知ってもらいたいということで、内山鑑三はあえて英語で書いたのです。
その「Representative Men of Japan」が、日本の読者にとっても有益だということで、日本語に翻訳されなおして刊行されたのが『代表的日本人』です。

先ほどの問いに対して、『代表的日本人』はどのように回答しているのでしょうか

封建制度の撤廃によって失われたもの

封建制にも欠陥はありました。その欠陥のために立憲制に代わりました。しかし鼠を追い出そうとして、火が納屋をも焼き払ったのではないかと心配しています。封建制とともに、それと結び付いていた忠義や武士道、また勇気とか人情というものも沢山、私どものもとからなくなりました。ほんとうの忠義というものは、君主と家臣とが、たがいに直接顔を合わせているところに、はじめて成り立つものです。その間に「制度」を入れたとしましょう。君主はただの治者にすぎず、家臣はただの人民にあるにすぎません。もはや忠義はありません。ー 『代表的日本人』(p.53)

封建的関係を「制度」として見るようになってしまってからは、君主と家臣をつなぎとめるものが、「労働」と「それに対する対価」のみになってしまったという意見です。

封建的時代の労働は、「労働の対価」が主軸ではなかったということです。忠義や人情といった総合的な面から、自分が労働するに値する君主であるか、判断していたのです。

これは資本主義社会における労働にも通づるものがあります。

労働者は仕事量を減らしたがるのが当然。資本家は労働者を管理することで頭がいっぱいです。「制度化」されるたびに、人と人との繋がりが希薄になっています。

資本主義の制度の中では、働くことは自分の道徳とも関係ありません。資本主義社会のなかでは、温順な動物愛好家や、子供好きの父親が、臆面もなく化学兵器や農薬の製造のために働きます。

現代でも、「自分らしく暮らせる社会とはなにか」を再考させられるような文章だと思います。

学校という場所の本質

私どもは、学校を知的修練の売り場とは決して考えなかった。修練を積めば生活費が稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、真の人間になるためだった。私どもは、それを真の人、君子と称した。ー 『代表的日本人』(p.112)

昔の日本人が学問を続けたのは、人間的な「完成」を目指すためでした。
君主が寝る間も惜しんで読書に耽ったのは、他の領主よりも優位に立つためではなく、内政を安定させ、民の平和に尽くすためでした。
自分の勉強は誰のためでしょうか。人の役に立つため、人間的に完成したいから、でしょうか。それとも、生活費が稼げるようになるため、他の人との競争に打ち勝つため、でしょうか。
100年以上も前に書かれた文章とは思えないほど、自分の心に刺さるものがあります。

先生とはどのような人か

教師を、あの近づきがたい名称である教授と呼ぶことはなかった。先に生まれたことを意味する「センセイ」と呼んだ。この世に生まれた時点で先ーー必ずしもそうでないこともあったがーーであるのみならず、真理をさきに了解した点で、先に生まれたことになるからである。 ー 『代表的日本人』(p.113)

日本語は、日本人の思想が反映されて出来上がっています。「教授」「教師」そして、「センセイ」という言葉がもつトーンは全く違うものなのです。日本語は美しい。

今の学生にとっての「センセイ」と、昔の学生にとっての「センセイ」は、全く違う存在だったのかもしれません。昔は、自分の師事する「センセイ」はさほど多くなく、親愛と尊敬の意味がこもっていたのは想像に難くありません。

正義と善事の違い

とえ善事も報賞目当てになされるならば、たとえ来世の報賞であっても、藤樹は反対でした。正義は、それ以外の動機を必要としません。(p.136)ー 『代表的日本人』

「正義」の動機は「正義」だということで、そこに「報賞」や「名声」は関係が無いという言葉です。
正義は、それ以外の動機を必要としない。一度言ってみたいです。言えるような人間になりたいと思わせる文章です。

人を動かすということ

(中江藤樹の)その墓を訪れる人があれば、村人たちが、簡素な礼服をまとって案内をするでありましょう。三百年も前に生きていた人が、どうしてこれほどの尊敬を受けるのでしょうか。問われれば村人は次のように答えるでありましょう。「この村の近くでも、父は子にやさしく、子は父に孝養をつくし、兄弟はたがいに仲良くしています。家では怒声は聞かれず、だれもが穏やかな顔つきをしています。これはすべて藤樹先生の教えと後世に遺された感化の賜物です。私どもだれもが、先生の名は感謝をもって崇めています」現代の私どもは「感化」を他に及ぼそうとして、太鼓を叩き、ラッパを鳴らし、新聞広告を用いるなど大騒ぎをしますが、真の感化とはなんであるか、この人物に学ぶがよろしいでしょう。(p.139)ー 『代表的日本人』

三百年前に亡くなった中江藤樹の墓を訪れても、いまだに村人が出てきて案内をしてくれる、というお話。ほんわかする、昔話のような雰囲気の文章です。
『代表的日本人』はその題名と、百年以上前に海外の知識人に向けて書かれた書物であるということから、難しくて真面目な印象を受けますが、実際は語り口が優しく、全体的に昔話を読んでいるような感覚です。
長くは持たないであろう一時的な「感化」を及ぼそうとするのは、現代でも一緒です。現代で、太鼓を叩き、ラッパを鳴らしながら街を練り歩いくことはしませんが、それと似たようなことはしています。しかし、それは「真の感化がなんであるか」を考えると、なんでもないことなのです。

昔の日本人が死を恐れた理由

死を恐れたのは、臆病によるのでなく、私どもの美しい国土への愛着によっていました。(p.143)ー 『代表的日本人』

最後はこちら。日本を愛していて、そこでずっと生活していたいと思うから、昔の日本人は老いても働きつづけたのでしょう。

内山鑑三の『代表的日本人』を読んでみたい方はこちら

今紹介した引用はほんの一例で、『代表的日本人』には他にも優れた文章がたくさんあります。

Amazonには5点満点中4.5の評価と、100件を超えるカスタマーレビューがあるので、そちらで他の人の意見も参照していただきたいです。

NHKの「100分de名著」でも取り上げられているそうです。解説を読みたい方はこちらから。

名著50 内村鑑三「代表的日本人」:100分 de 名著
「100分 de 名著」の番組公式サイトです。誰もが一度は読みたいと思いながらも、なかなか手に取ることができない古今東西の「名著」を、25分×4回、つまり100分で読み解く新番組です。

自分はNHKの解説は読んだ事がないのでなんとも言えませんが、機会があればさらに調査して続きの記事を書こうと思います!

終わりに

これまで私が読んできた中でも、五本の指に入るくらい良い本ですし、さくっと読める量なのでみなさんにも是非読んで欲しいです!(感想が聞きたくて仕方がありません)

海外留学へ行く人は、志高く、「自分が日本の代表だ」と、胸を張って頑張って来てください!

ありがとうございました!

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